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プロローグ 04

Penulis: あさの紅茶
last update Terakhir Diperbarui: 2025-02-26 20:17:52

自室に戻りベッドへ突っ伏す。

両親が不仲でいつだって雰囲気が悪く居心地の悪い家。離婚するなら早くすればいいのにと、春花は密かにずっと思っていた。

だから心の準備はできていたはずだった。父とは会話のない生活がずっと続いている。別に嫌っているわけではないが、離婚したら母について行くのだろう。引っ越すのならピアノは持っていけないかもしれない。などと大方の予想はできていたのだ。

「はぁー」

春花のため息は誰に聞かれることもなく、虚しく抜けていく。いくら予想していたとはいえ、受験もコンテストも控えているこの時季に生活が変わるのだ。少なからずともダメージはある。

「音大、行けないんだろうな……」

大学はお金がかかる。それくらい春花は理解している。自分の将来が変わってしまうことを憂いじわじわと押し寄せる感情に泣き崩れた。

「……ううっ……桐谷くん」

何より静と一緒に音大に行けないことの事実が、春花の胸をぎゅうぎゅうと締めつける。

春花は静とピアノを弾くことがとても幸せだ。あの時間は本当にかけがえのないもので、大切にしていきたい空間である。それはこれからもずっと、静と共にありたいと願うことでもある。

「桐谷くんと離れ離れかぁ」

春花の気持ちは静は知らない。伝えて壊れるくらいなら、伝えずにずっとこうして仲良くピアノを弾いていたい。だから同じ音大を目指していたというのに……。

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    春花は何だか惨めな気分になり、泣きたくなった。と、突然携帯が鳴り出す。「もしもし?」『春花、何で出ていくんだ?』「高志……。あなたが出ていけって言ったじゃない」『そんなの嘘に決まってるだろ。春花を試したんだ。ああやって言えば春花は優しいから振り向いてくれると思った』何を言われても、高志の言葉は嘘にしか聞こえない。もう彼に振り回されるのはうんざりだ。「もうアパートの契約解除するから。あなたも出ていってね。私知らないから」『は? ちょっと待てお前何言ってんの? くそが、死ねよ』「もう私は死んだと思って。さよなら」春花は今まで出したことのない冷ややかな口調で告げ、乱暴に電話を切った。「はぁー」ほんの少し緊張が解け、その場にペタンとへたれこむ。手のひらから滑り落ちた携帯電話は何度も鳴り続け、高志からの着信履歴で埋まっていった。一体いつまでそうしていたかわからない。「ニャア」「……猫?」春花の左指をクンクンと鼻を擦り付けながら時折ペロペロと舐める猫。「……桐谷くん猫飼ってたんだ。君、慰めてくれるの? 優しいね」「ニャア」猫は人懐っこく春花に擦り寄り、撫でてほしいとばかりに頭をグリグリと寄せる。「ふふっ、可愛いね」春花は要求通り頭を撫でてやる。猫は気持ち良さそうに目を細めた。静が帰宅するとピアノルームから明かりが漏れており、不思議に思ってそっと中を覗く。中では春花が横たわっており、驚いて思わず声を上げそうになった。「春……」「ニャア」春花に包まれるようにして猫が顔を上げ、その心地良さそうな表情に二人で寝ていただけなのかとほっと胸を撫で下ろす。「まったく、驚かすなよ。ほら春花、こんなところで寝ると風邪ひく――」揺り動かそうとして、ハタと手が止まった。春花の目元は涙に濡れ、苦しそうな表情で眠っていたからだ。「ニャア」「お前、春花のこと慰めてたのか? 偉いな」静が撫でようとすると猫はその手をすっと避け、再び春花の胸元で丸くなる。「……おい、飼い主は俺だぞ」静は苦笑いしながら立ち上がると、別室から毛布を持ってきて二人に掛けてやった。コンコンと眠り続ける春花。固く握られた手。静はその手にそっと触れる。「……遅くなってごめん」小さく呟いた言葉は、猫だけが片耳をピクッと揺らして聞いていただけだった。

  • 君と奏でるトロイメライ~今度こそ君を離さない~   未練 02

    仕事が終わった春花は迷わず静のマンションへ帰った。渡された合鍵でエントランスの自動ドアを解除する。スッと音もなく開くドアは高級感に溢れており、エントランスの天井は高くクッション性の良さそうなソファーが優雅に出迎えてくれた。自分のアパートとは違う感覚は、春花の心を幾ばくか緊張させる。玄関のドアさえも重厚な造りで力を込めないと開かなかった。「た、ただいまぁ」遠慮がちに呼び掛けてみるも、部屋はしんと静まり返っていて人の気配はない。「お、お邪魔します」そろりそろりと入っていくと、ピアノルームの扉が開いていた。そっと中を覗くと自動で照明が点き、春花はわあっと声を上げた。部屋の真ん中に立派なグランドピアノが置いてある。照明が反射してキラキラと光っている様は、音楽室を彷彿とさせた。そっと蓋を開け鍵盤を弾くと、ポンと体の芯まで響いてくるような重厚な音が鳴った。「……トロイメライ」高校のとき静と連弾した曲を思い出し、春花は微笑む。まさかこんな形で静と再会するとは思っても見なかったが、昔と変わらない優しさは春花の心に安心感を与えている。本当は静と音大に行きたかった。静と一緒にピアノを弾きたかった。もしもあの時一緒に音大に進学できていたら、自分はどんな人生を歩んでいたのだろう。ピアノ講師としてかろうじてピアノは続けているが、静との実力は雲泥の差だ。

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